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窯場今昔100選  仲野泰裕

12. 志戸呂焼

 静岡県榛原(はいばら)郡金谷町の横岡、上志戸呂および大井川の対岸島田市の神座一帯において、15世紀中期から近世にかけて焼かれた陶器。現在、志戸呂焼は大きく三期に分けてとらえられており、いずれも瀬戸・美濃系の施釉陶器の流れをくんでいる。
 第1期は、古瀬戸後期の穴窯期にあたり、三ツ沢窯跡が発掘調査されている。15世紀中期と考えられており、伝承の開窯期大永年中(1521-28)よりさらにさかのぼることが判明している。15世紀に尾張・越前・遠江を両国とした斯波氏かその守護代の勢力の関与が指摘されている。
 志戸呂焼は、その後約1世紀の断絶の後、第2期にあたる瀬戸大窯期の上志戸呂窯が16世紀後半に登場することにより、生産が再開されている。上志戸呂では、大窯2基が発掘調査されており、天目茶碗、丸碗、半筒茶碗、小皿、徳利、香炉、水注、茶入、擂鉢などが出土している。
 この時期には、神座地域においても陶器生産が認められる。その後は、第3期の連房式登窯期(江戸時代以降)を経て今日まで連綿と焼き継がれている。江戸時代になると、窯跡が横岡地域に集中するようになっており、当時の村役人の記録などから、陶業と農業をかねていたことが分かる。17世紀代の内藤窯、釜谷南窯、18世紀代の釜谷南窯、釜谷中窯、18世紀末から19世紀代に新兵衛窯、釜谷北窯、土山窯などが知られる。
 生産器種は、日常的な器が中心となり、吉衛門徳利と通称される口頸部だけ釉を掛けた一升徳利や燈明皿などが江戸市中において好評を得たようである。  全体に鉄分を多く含む土が特徴で、唐津に似た土肌も認められるが成型技法が異なる。鉄釉や灰釉、またはこれらを掛け重ねたものが多く、茶所をひかえて葉茶壺が多いのも特徴の一つである。
 「遠州七窯」の一つに数えられているが、志戸呂焼と遠州との関係については、現在のところ不詳である。  

(平成20年 『釉人』第74号掲載)

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